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旅立ち [母の闘病記]

昨日の午前中は、話をしていましたが、朝から目はあまり開いていませんでした。看護師さんに「目を開けて」と言われて、「目を開けない」と言いました。「あら 開けてくれないの」と看護師さん。着替えが終わって、眠りについてから目を開くことはありませんでした。

夜にお茶碗を洗いながら、母を見ていました。一瞬、息が止まったように見えましたが、呼吸をしていたの安心していました。少ししてまた見たら、「?」呼吸をしていない。急いで母の側へ行きました。「お母さん」と何回か呼んでも息をしないので、急いで先生に電話をしました。看護師さんにも連絡をして欲しいと先生に言われて、すぐに電話をしました。

看護師さんが来てくれて、確認をしてくれて心肺停止という事で先生に連絡をしてくれました。先生から許可をもらって、看護師さんが体を拭いたり、着替えをしてくれたりしました。先生が到着して、確認をしてくれて、9時45分臨終です。

苦しみ事もなく、穏やかに旅立ちました。表情も笑っているようで、良かったと思っています。父がいると母が言ったとき、お迎えに来ているなと思っていて、一昨日も看護師さんにお父さんがいると言ったそうです。父が迎えに来てくれたみたいなので安心です。

葬儀は少し先になりますが、年内には終わります。お正月は仕事が、かなり忙しいので、きっと母はそれを思って旅立ったのかな。

家で看取ることが出来たのは、先生、看護師さん、ケアマネージャーさん、ヘルパーさん達のお陰です。本当に本当に感謝です。

「あいよー」 何かをするときに母に洗濯してくるね、買い物に行ってくるねと言うと「あいよー」と元気に返事をしていました。
「ありがとう」 何かをしてあげると必ず言うようになりました。「何故、必ず言うの?」と聞くと「感謝の気持ちを持たなくちゃ」と言いました。

「あいよー」「ありがとう」 この言葉と声は忘れる事はないと思います。
「ありがとう お母さん」
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スイカ [母の闘病記]

15-12-23.jpg11月30日と12月1日の2日間、40度の熱を出した母。その後はかなり弱ってしまって寝たきりになりました。それでも着替えなどのときは、協力をして体を動かして、ヘルパーさんも助かると言っていました。しかし紙おむつ交換のとき、毎朝4時か5時に私が交換をしていたのですが、5時の交換の時は仕事があるので時間がなく、腰が痛いのもあって、つい時間がないと言ってしまっていたので、母はその後は私には交換させません。休みだから時間はあると言っても、ヘルパーさんにやってもらうようになりました。でもそのお陰で、腰が大分良くなりました。喜んで良いのか分かりません。

声を出すようになって、痛いの?と聞くと「痛くない、気分が悪い」と言う様になりました。一日中しゃべっている感じで、夜は特に話し声が大きくなり、いつまでの話をしています。最初は言葉が分かりましたが、だんだん何を言っているのか分からなくなりました。それで一生懸命に話をしていました。そして「ちゃんと食べろよ」とハッキリ私に言い、それ以後は言葉が分からなくなりました。自分の食べる事には、お粗末になる事を知っている母は、心配で言ってくれたんですね。

幻覚を見るようになって、虫がいるとか、高い所から水が流れている、こっちへ水が来ないかと心配して、大丈夫来ないよと言ったら、安心をしていました。一番多かったのは、誰かがいるでした。

最後にスイカが食べたいと言ったので、ネット探して高知県から取り寄せましたが、昨日着いたら食べられたが、今日の夕方に着きました。今朝は少し話をして、午前中には看護師さんの問いかけに答えていたのに、それからは眠りの状態になってしまいました。昨夜は「スイカが楽しみ」と言っていたのに…。口腔用の小さい柄のついたスポンジに汁を含ませたら、噛んだので少しは飲めたと思います。気休めと思うが、スイカを口に出来たので良かったと思います。

あとわずかな時間、少しでも話し掛けたいと思う。
どれくらい一緒にいられるのかな?
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初訪問看護 [母の闘病記]

初めての訪問看護でした。
熱や血圧を計るなど、病院で行うことと、足がむくんでいる母なので、マッサージをしてくれました。もちろんストーマーの交換もしてくれましたよ。
熱が少しありましたが、たぶん病気のセイと思います。

所長さんと担当の看護師さん、看護学校の見習いの看護師さんもいて、見習いさんは男性でした。男性の看護師が増えているそうです。

所長さんが母に「慣れたらお風呂に一緒に入ろうかな」と言ったら、「それはいい」だって。他人とお風呂に入りたくないのでしょうが、所長さんはきっと入ると思います。その方が私も少しは楽になるから、所長さんもそれを分かってくれているのです。

今日の担当の看護師さんも明るい人なので、良かったです。(^ー^)v

来週は仕事でいませんよねと言われて、「はい」と答えたけれど、休みだった(^◇^;) 自分の休みを把握してないので、特別に何かない限り、いつも毎日確認して、明日は休みかって感じなんです。
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良好 [母の闘病記]

wth_pen03.gif退院当日、市役所の介護保険の審査があり、水曜日が審査日で結果が出ました。退院当日の夕方にケアーセンターの方から連絡が有り、審査結果が出なくても、何かあったら電話を下さいと、心強い言葉を頂きました。そして18日にも電話を頂いて、母がベットにするとやっと言ったので、業者さんをお願いしました。昨日お会いする約束をしていたので、当日に間に合う業者さんを連れて来てくれて、ベットもすぐに入りました。嫌がっていた母が喜んでいました(^◇^;)

病院で紹介されたケアーセンターは、色々聞いていたので断って、違う所にしました。そこだったら良いなと思ったのです。何故なら毎日のようにそこのケアーセンターの送迎バスに行き会うのですが、マナーが良いのです。1つ分かれば、だいたい分かりますよね。それでそこだったら良いなと感じました。

介護用品の業者も病院から紹介されたのですが、ケアーセンターの紹介の方が良いと思って、お願いをしました。母をお風呂に入れる自信がないので、お風呂場に手すり等を取り付ける見積もりを頼みました。私としては、ケアーセンターの移動のお風呂を利用したいのですが、母が嫌がるので仕方がないです。

ケアーセンターも業者さんも今は、とても良いです。
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退院 [母の闘病記]

wth_pen02.gifお陰様で、母が退院しました。普通は退院当日すぐに請求書が出来ていて、お会計を済ませてから帰りますよね。でも6日前から分かっているのに請求書は出来ていないし、他の書類も退院の準備が出来て帰るっていうのに出来てなくて、結構待ちました。新しい病院とはいえ、新人ばかりがいる訳じゃないはずなのに、とにかく待たせる時間が長すぎるし、手際が悪い。今は患者が少ないから良いけれど、多くなってきたらクレームが多いだろうね。

驚いたのが、先生からの説明が何もない。入院中もこれからどうするのか、いつ退院になるのか等、患者が一番知りたいことの説明が全くなかった。ストーマーに慣れるために入院をしているのかと思っていたのです。母が退院と言い出したので、看護師さんに「退院ですか?」と聞いたら、まだ退院じゃない、入院計画書を持って来ますと言って、翌日病院へ行ったら、母がサインした用紙が置いてあった。

母に「私が来るまでサインをしたないで」と言ったら、看護師が側にいて書くまで待っていたと言いました。私が毎日行っているのを分かっていて、母にサインをさせるって有り得ない!化学療法に疑問を持ったので、他のことも聞きにいったら、質問の途中で看護師に用紙を取られました。家に帰って、確か化学療法をすると書いてあったなと思って、翌日担当医から説明をしてもらおうと思いましたが、いなかったので看護士が先生に言ってくれると言うので、化学療法はやらないとハッキリ言いました。

計画書が戻り、数日経って看護士(多分、士長)が、のたもうた。「一日も早く退院して、家で過ごさせたいと思っています。」∑('◇'*)エェッ!? どの口が言ってるかー(-_-メ) まるですぐに退院しろと言ってるように聞こえた。でも私も自由に休める訳じゃないし、午前中の退院が規則らしいので、今日になりました。

看護士は、よく面倒をみてくれたらしく、母が喜んでいたので、少しは良いかな?と思うけれど、教えないが病院の方針なのかな?と思うくらい、何も教えない。これは信頼をなくしますよね。

新しいやり方と思うには、かなりの無理がある。他の病院と同じにしろとは言わないが、もっと患者の立場に立った医療をして欲しい。
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退院の見込み [母の闘病記]

wth_pen03.gif先月15日に入院した母。今月15日に退院します。一ヶ月間の入院、母は退院したいとずっと言っていました。そりゃそうよね、誰でも早く退院したと思うよね。

大好きな柿を買っておいてと言うので、タップリ買いました。柿を食べるのを楽しみにしています。病院食は、不味くて食欲がなくなるそうです。病人なんだから体力がつく食事でないといけないと、いつもそう思いますが病院にも予算があるのでしょう。と言っても食事代を払うんだからね。病院も食事を選べれば良いと思います。ABCって感じで、食事代も違って良いと思うけれどな~。

先日、従兄と食事をしました。従兄とゆっくり食事をしたのは初めてです。みんな仕事をしているし、忙しい年代ですからね。母が退院して落ち着いたら、高速に乗れない私の練習も兼ねて、お出掛けをしようと言ってくれました。一緒に乗ってくれるの?って言ったら、テーブルの上にお嫁さん宛てに遺言書を置いておくよだって!o(*^▽^*)oあはっ♪ 食事やお出掛けを誘ってくれて、母も楽しみにしているので有難いです。
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入院 [母の闘病記]

wth_pen04.gifwth_pen04.gif15日にかかりつけのお医者さんから、紹介状を受け取り、病院へ行きました。かかりつけの医者は、治る可能性もあると言っていたけれど、ありません。大腸癌が原発で、肝臓に転移をしていたし、腸閉塞寸前でした。人口肛門にするか?抗癌剤をするか?を決めなくていけなかったのです。その結果、好きな物を食べさせたいと思い、母も納得をして、人口肛門の手術を、今日しました。抗がん剤の治療は、80歳という高齢なので、治療はせずに家で過ごす事を選びました。これは私が先生と話をして決めました。でも私は諦めません。少しでも長く生きて欲しいから…、一番大変な時期に2人で頑張ってきているので、少しでも長く楽しんで欲しいから…。いつかはお別れがあるけれど、少しでも先が良いよね。

退院したら、慣れるまで大変と思うけれど、母をサポートして頑張って行こう。

先生から話があったとき、母は混乱しました。
「なぜ、ここへ来たんだろう。ここへ来なければ、こんな事にならなかったのに」
キチンと説明をしたら、納得をしてくれました。
そして私の負担になりたくないと言いました。私は負担になってないよと言ったら、少しでも長く、私と居たいと言いました。全面サポートで、イライラすることもあると思うが、イライラせずに接していこうと思います。今まで母が私のことを守ってくれていたのだから、これからは私が母を守ろうと思う。

手術のときに叔母と従姉妹が来てくれて、母も嬉しかったのです。
「手術のとき、誰もいないって寂しいね」と言っていたので、嬉しくて心強かったことでしょう。
そういう事を言う人ではなかったのに、やはり年なんでしょうね。

ブログに書こうか迷ったけれど、私の気持ちのやり場がないので、ブログに書いて、人口肛門の経験のある方のアドバイスも頂けたらと思っています。

お昼は従姉妹に進められたお蕎麦屋さんで食べたのですが、ボリュームがありすぎて、やっと食べました。天婦羅そばを注文したけれど、普通の天婦羅そばかと思ったら、温かいそばに天婦羅がついているのです。揚げたて美味しかったけれど、猫舌の私には熱すぎた! 天南そばというのが、普通の天婦羅そばという事が分かりました。(^◇^;)
手打ちそばなので、シコシコ系ですが、私のあまり好みの蕎麦でなかった。
しかしおやじさん、奥さんに文句ばっかり言って、感じがわるかった。食べているのに奥さんに「何をやっているんだ。一杯やることがあるだろう。何やっているんだ。次のが出てないだろ」こんな感じで、年中文句ばかり言っています。お客さんは不愉快になりますよ。お蕎麦が不味くなる。また行こうとは思わないな。蕎麦は美味しいかったけれど、おやじの言葉が不愉快だ。

頑張るぞ!!!

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